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アニメ「蒼天航路」 最終回!?
【蒼天航路ファン(原作)のつれづれブログ】 他
あら、アニメ「蒼天航路」が26話で最終回になってた。最近、何かと忙しくって見きれてなかったので全然知らなかった。しかし、この終わり方は、なんとも。
たった26話で原作の最終話まで行けるわけはないので、悪しからず。
まんが もふもふ三国志
【まんが もふもふ三国志】
イケメンでもなく、ロボット化でも女性化でもなく、アニマル癒し系かぁ。
「キャラクター一覧2」の孫家三代はなかなかいいです。陳宮(改の方ね)もなぜか納得。なぜだ。。。
「キャラクター一覧3」になると、ドラクエの敵キャラの様相を呈してくる。郭嘉がエリマキトカゲかぁ。私なら賈詡を当てるかな。それも何故かわからんが。。。(^^;)
三国志学会 第四回大会 雑感(その4)
雑感(その3)からの続き
引き続き、辛賢女史による講演が始まる。ところが手元にレジュメがない。午前中の清岡氏と田村女史のレジュメは大会開始前から準備されていて、会場入り口で一部ずつ取ることができた。村田氏のレジュメは開始直前に配られた。恐らくお昼の休憩の際に会場入り口付近に置かれていたようである。実は、会場の出入り口は会場後方が正式な出入り口の様だが、会場右側にも出入り口があり、私の席がその出入り口に近かったため、そちらを利用していたのだ。なので、気付かなかった。私と同様、手元にレジュメがない方が何名かいらっしゃったようだ。少し運営に配慮が足りない気がした。
さて、予定では「鄭玄と王弼」となっているが、鄭玄まで手が回らなかったらしく、講演タイトルが変更となった。「王弼の「意」と「象」 −「象」の淵源から解釈の展開−」ということで、王弼に絞った講演となった。
王弼の「易」の解釈、そして王弼前後で、易学にどのような変化が現れたのかということだったのだが、はっきり言います。私の知識では全然ついていけませんでした。それとまず「易」についての説明をとするように辛賢女史は他の先生から指示されていたようで、なかなか本題に入れず、充分な講演ができなかったということもあるだろう。ちなみに「当たるも八卦(はっけ)、当たらぬも八卦(はっけ)」というように、一般には「卦」は「ケ」と発音されるが、学術的には「カ」と発音するらしい。なので「八卦(はっか)」ですね。
易の構成として「象」「言」「数」があり、易経は陰陽を表す棒の一本を「爻(こう)」とそれを組み合わせた「卦(か)」を「爻辞」「卦辞」として解説している。これが「言」なのだが、短い言葉、抽象的、比喩的な表現が成されているので、それを解釈し具体化したものが「象」となる。この具体化の過程で当然様々な解釈が行われることとなり、王弼以前の漢代易学「象数易学」は行き詰まりを見せていたらしい。
そこで王弼は「忘言忘象得意論」を展開し、これを「義理易学」へと発展させ、「象」の深化・分化を進めたということを多くの資料から見ていこうということのようだった。
当然、辛賢女史の講演内容を全部紹介できているわけではないので、私が如何に分かっていないかをお分かり頂けたかと思う。
王弼は確かに三国時代の人であるが、三国志学会での講演であればこの三国時代にどうして易学が王弼によって発展させられたのか、というような時代との関わりの上での講演であれば良かったなと思う。たしか呉の虞翻も易に注釈を付けていたはずである。王弼と虞翻との間での、易のとらえ方の違いなどを講演してもらえるとより三国志学会らしかったかなぁと言う気がする。
30分ほどコーヒーの出ないコーヒーブレイクを取った後、川合氏の講演が始まるのである。雑感(その5)に続く。
三国志学会 第四回大会 雑感(その3)
雑感(その2)からの続き
田村女史の報告が終わり、昼食。京都駅のKIOSKで買ったパンとおにぎり2個を食べる。我ながら食細いと思ってはいるが。。。
別館では、書店さんが来られているとのこと。やはり、魏晋南北朝あたりを中心に出品されていました。何か珍しいものがあればと思い、また特別割引もあったようなので、欲しいなと思う本はあったんですが、手持ち現金が少なかったので諦めました。それにしても『稿本三国志注補』は高かったなぁ。私はたしかその値段の五分の一で入手している。もちろん日本国内で。
さて、お昼休憩も終わり、村田氏の「蜀漢成立期の支配について−蜀漢政権論の再検討」と題した報告が始まる。劉備が劉表の元へ身を寄せてから、赤壁の戦いを経て、蜀の地に入り、三国鼎立がなるまでを、劉備、諸葛亮、関羽、張飛といった主要な人物の官職、その役割について再検討されていた。
手書きの地図が添えられており、南郡と言っても劉備が支配していたのは、南郡全体ではなく、南郡を南北に分ける長江の南側だけだったのではないか、蜀・呉間での荊州南部地域の貸借問題なども出てきて、湘水を境にして分けることで決着したなど、イメージしやすかった。
官職については知識がないため、本来どのような役割を持つものなのかが私にとってわかりにくかったのだが、漢朝衰退期に曹操の息がかかっているとは言えども、名目上漢王朝から与えられた官職と、自分が勝手に名乗った官職、あるいは勝手に任命した官職などは区別して考えた方がよいかなと思った。
荊州の守りというと関羽がやっぱり一番に思い浮かぶんですけど、やはり諸葛亮もかなりの働きをしていたようですね。
雑感(その4)へ続く
三国志学会 第四回大会 雑感(その2)
雑感(その1)からの続き
清岡氏の報告が終わった後、10分休憩かと思いきや、次の田村女史の報告が始まる。「謀る孔明、女装する仲達−川劇「上方谷」をめぐって」である。
「川劇」というのは初めて聞いたが四川省で演じられる劇であり、四川の訛りもある庶民の娯楽としてのかなりローカルな演劇である。四川省は三国時代、蜀として劉備、諸葛孔明が治めた地であり、遺跡、伝説、伝承が多い。そして川劇にも三国志に題を取った演目がある。その一つがタイトルにある「上方谷」である。
「上方谷」は『三国志演義』第103回に相当する話で、孔明と司馬懿の戦いのクライマックスである。しかし、「上方谷」には『三国志演義』には見られないストーリーが存在する。「魏延謀殺故事」だ。上方谷で司馬懿親子を焼き殺す計略に乗じて、魏延の謀殺を図り、失敗に終わると責任を馬岱になすりつけるというものだ。
さて、『三国志演義』にはいくつかの版本がある。毛宗崗本、嘉靖本、葉蓬春本、李卓吾本など。先ほど「魏延謀殺故事」が『三国志演義』に見られないと書いたが、厳密には『三国志演義』毛宗崗本には見られないということであって、その他の版本には見られるそうである。「上方谷」は毛宗崗本以外の版本を参考に作られたと考えられるという。
次に「司馬懿女装故事」がある。五丈原の戦いで孔明が女物の髪飾りと服を送って挑発するが、司馬懿はそれを身につけて諸葛孔明と会うというストーリーである。これは私は初めて聞いた。「司馬懿女装故事」も「上方谷」にあると思って聞いていたので、ちょっと混乱したのだが、このストーリーは京劇の「胭粉計」などにあり、川劇にはないようである。川劇では「五丈原」という演目にあたるらしいがむしろ『三国志演義』毛宗崗本に準拠しているらしく、テキストの対比が行われていた。
時間に余裕があったので、「司馬懿女装故事」を演じている場面の写真や動画が紹介された。動画は音声が出力できないのが残念であった。この時点でも私は「司馬懿女装故事」が「上方谷」にあるシーンだと思いこんでいた。おそらく京劇の「胭粉計」だったのだと思う。
質問では、孔明と縁の深い四川省で、「魏延謀殺故事」を含む「上方谷」を演じていて、観客の反応はどうかというものがあった。確かにそうである。ところが、観客は面白ければ良いようで、そういうこだわりは感じられなかったとのことであった。
報告のタイトルから、「魏延謀殺故事」と「司馬懿女装故事」が川劇「上方谷」にあるのかと思っていたが、そうではなかったので、タイトルはちょっと工夫が必要かと思った。あと「死せる孔明、生ける仲達を走らす」を意識しているかと思うが、以前にも触れたが、正確には「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」である。「謀る諸葛、女装する仲達」とすればなお良いなぁと思ったのは、私の勝手な思い込みである。
京劇を含め、三国志と言えどもあまり関心はなかったのだが、この報告は私の中で演劇への関心が少し出てきたという意味で有意義であった。
雑感(その3)に続く。








