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『権利のための闘争』
イェーリング 著 村上淳一訳 『権利のための闘争』 (岩波文庫) 読了。
早いもので三男が生まれてちょうど2ヶ月になる。赤ん坊は泣くのが仕事、泣けば口元に指を持って行き、くわえる仕草をすれば、あぁ、お乳だな。そうでなければおむつだな。とこれまでは結構分かりやすかったものの、さすがに最近どちらのパターンにも当てはまらないことがでてきた。つまり何で泣いているのか分からないのである。これが一番困る。それにお臍がなんとかヘルペスとかで、特に問題なく自然と治るものらしいのだが、お腹に力が入るためなのか、あんまり泣かせるといけないとかで、お乳でもない、おむつでもない、でも泣いている(しかもかなり激しく泣いている)という状況になると、だっこするしかなくなる。
ただ、だっこするだけで済むなら問題ないのだが、どうも我が子は横向きにだっこされるのが嫌らしく、泣きやまない。縦にだっこすると泣きやむのである。横向きなら掌でおしりを押さえ、肘のあたりで頭を受け止めれば、あいた手でなんとか作業(といってもHPの閲覧くらいなのだが)ができるのだが、縦だっこの場合はそうもいかない。片手はおしりを抱え込む様にし、頭が私の肩の辺りに来るように抱くのだが、まだ首の据わらぬ赤ちゃんの頭はもう一方の手で支えるしかない。運良く肩にもたれかかるようにしてくれると良いのだが、いきなり仰け反ったりするので、危なっかしくて常時は無理。しかも軽く揺すってやったりしないと、これまた機嫌が悪くなるというわけで座ることもできず、何にもできなくなるのである。
嫁曰く、以前もご紹介したことがある和柄スリングでだっこすると泣きやむらしいのだが、嫁はこんな風に使っていたはずと、ここぞとばかりに使ってみるものの、普段使い慣れていないせいで、どうも居心地が悪いようだ。というわけで縦だっこにもどるのである。
と前置きが随分と長くなってしまったが、そうやって何もできずに縦だっこをしながら、本棚を眺めていて目に付いたのがこの『権利のための闘争』。薄い本である。これなら縦だっこしつつもなんとか読めそうと思い、子供の頭は手首辺りで支えながら、片手で開きつつ読み始めた。
表紙には次のようにある。
そして、本文には次のようにある。
−−−−−−−−−−−−−−−
権利のための闘争は、権利者の自分自身に対する義務である。
(p.49 太字強調は本文では傍点)
私は団塊ジュニア世代だが、完全に権利は与えられたものになっている。以前のエントリーでも書いた保育園の農地収用のように、己が財産が納得いかぬまま収用されるというようなことでも起きぬ限り、権利のための闘争など必要がないような気もする。それほどまでにあまり権利ということに注意を払っていないのだ。
選挙権を持っているのも、教育を受ける権利をもっているのも、日本では西洋と比べれば比較的犠牲を払わずにすんでいるのだろうが、やはり先人が勝ち取ってきたものである。それを維持していくにもやはり「闘争」が必要なんだなと感じた。「闘争」の相手は誰か、それは自分自身なんだろう。
本文の最後にはゲーテの言葉が引用されている。
自由と生を享受して然るべきは、
日々それを贏ち得ねばならぬ者のみ。
(p.140)
時折、日本人は権利を勝ち取る過程を改めて踏まないといけないのでは。。。と思ったりする。それが嫌なら、せめてこういう本を読んでおくべきかなと思う。
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