| トップページ > 本に関すること > ユーモアなのか? | ||||
ユーモアなのか?
轡田隆史 著『「考える力」をつける本』(三笠書房)
轡田隆史 著『「考える力」をつける本2』(三笠書房) を読了。
轡田氏は以前、「ニュースステーション」にも出演されていて、桜前線に沿ってであったか、紅葉前線に沿ってであったか、それぞれ見頃となった桜あるいは紅葉をライトアップして紹介しておられ、物腰柔らかな話し方、そしてあまり極端なことも仰らない、朝日の方にしてはちょっと変わった方だなという印象を持っていた。そして、以前、偶然にこの本を手に入れて積読状態だったのだが、ようやく読むことができた。
今回は付箋を貼りながら読んでみた。大事だなと感じたところには赤い付箋。書籍が引用されているところには緑の付箋。そうすると、結果、緑の付箋がやたらを貼られることになった。そしてそのほとんどを私は読んだことがない。沢山の本を読まれているなと感心すると同時に、自分があまりに読んでいないことに愕然としてしまった。それは反省してこれから読むように、なんとか工夫するとして、内容はなるほどと思うところが多々あった。「問う力」「深める力」「広げる力」、自分なりの結論を出すまでに「考える力」として、私自身漠然と感じていたことを書いてくださっている、そんな感じを受けた。
轡田氏は8年間、朝日新聞の「素粒子」というコーナーを担当されていたとのこと。私は以前朝日新聞を購読していた際に、この「素粒子」にケチを付けたことがある。というか、激怒したことがあった。もちろん、時期的に轡田氏が書いたものではないはずだが、それを知ってちょっとビミョーな感じを受けたのも事実である。そして、「2」の方を読んでいて、そのビミョーな感じは的中してしまう。
「知的な「笑い」を演出する力」という章で引用されている諷刺詩だ。2つある。
児童福祉の 記念日や
新ケンポウの 記念日は
何にも 実行されてない
ことをセンデンする日です
文化勲章
文化クン章の 効能は
もらった人には わるいけど
おやおや 生きていたのかと
思い出すのに好都合
(p.198)
「わたし自身、夕刊のコラムでこのようなものをねらって、それなりに努力してみたけれど、ほとんど成功しなかったことを告白しておく。」
そうか、轡田氏もこの手の文章をねらっていたのかとちょっとゲンナリしてしまった。最初の「記念日」という詩はこれで構わないと思う。祝日は法律によって定められるものであり、こどもの日や文化の日が制定されたことで、それまでの政府や行政のこどもや文化に対する無策を諷刺しているという点で構わないのである。ところが次の「文化勲章」という詩はいけないと思う。文化勲章を授与するということが本来の意義を失っているというような批判であれば良いのだが、この皮肉の矛先は文化勲章を「授与された側」に向けられている。これが許せないのである。確かにこの詩に表されていることは、われわれ一般市民の心のちょっと薄汚れたところを見せつけている点でもあるのだが、文化勲章を受けられた方は、有形・無形の文化の維持・発展に努めて来られた方であろう。報道されるのは、かつて活躍したスポーツ選手や芸能関係者が多いようだが、ほとんど陽の当たらぬ分野で授与される方もいらっしゃるのだと思う。そういう方々に対して「おやおや 生きていたのかと」というのは失礼千万である。そして、轡田氏でさえもこれをユーモアとして目指しておられたのかと思ってがっかりしたのである。
以前にも書いたが、この「素粒子」のようなミニコラムは不当な権力行使や不正に対して、鋭く切り込むものと私は認識している。轡田氏でさえもやはり勘違いされていたのかと思うと、かなりの脱力感を覚えたのであった。
コメントの投稿
トラックバック
http://echizen01.blog52.fc2.com/tb.php/622-20a11811





