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哲学教育 論理的な思考力を鍛えよう
2009 - 11/23 [Mon] - 15:25
そう言えば私が高校生だった時、夏休み前の1学期の終業式で校長先生が「この夏休みを利用して、1冊でもいい、哲学書に触れてみてください。」と仰ったのを真に受けて本を読んだことがある。学校の図書館に行って借りた本は野田 又夫 著『デカルト』(岩波新書)だった。「我思う、故に我あり」に至るプロセスを読んだ時の、衝撃とまでは行かないまでも、とにかく違う世界、考え方に触れているという実感は、今もって色あせることはない。
考える力を養うのに、遅いも早いもないと思う。私も読書の幅を広げたいと思う。
哲学教育 論理的な思考力を鍛えよう(11月23日付・読売社説)
「哲学」の語源はギリシャ語の「フィロソフィア」(知恵を愛する)に由来する。
明治時代の初期、賢哲の明知を愛し希求するとの意味で「希哲学」と訳され、さらに「哲学」と呼ばれるようになって定着した。世界の根本原理を追究する学問だ。
14歳の少女を主人公とした哲学ファンタジー「ソフィーの世界」が日本でもベストセラーになり、哲学ブームと言われたのは、1990年代半ばのことだった。
ブームは過ぎ去り、哲学は実用性に乏しい学問と見なされ、多くの大学の教養課程の履修科目から姿を消しつつある。
しかし、思考力や論理性を徹底的に鍛える哲学教育の推進は海外で大きな潮流となっていることを見逃してはならないだろう。
幸せとは何かといった思春期の子供たちが抱く素朴な問いは、古今東西の哲学思想との出会いにつながる。新しい生命倫理の問題など現代の複雑な課題に向き合う上でも哲学的思索は欠かせない。
国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)は哲学教育の推進に取り組んでいる。高校生などを対象とした哲学教育は、欧米を中心に多くの国で導入されつつある。
フランスでは高校の最終学年で哲学の基本が徹底的に教えられ、大学入学資格試験には哲学の難題が出題される。人間形成の上で大きな影響を受けたと振り返るフランス人も少なくない。
フィンランドで今年5月に開催された国際哲学オリンピックは、世界22か国から高校生が参加し、宗教や芸術をテーマに哲学論文を書いて競い合った。日本代表も英語で哲学論文に挑み健闘した。
哲学を広い意味からとらえ直して教育などに生かす試みは、日本でも芽生えつつある。
東京都世田谷区では文部科学省の教育課程特例校の制度を利用して、すべての区立中学校で独自の教材を用いた哲学の授業に取り組んでいる。
宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」を素材に「生きること」をテーマに考えさせたり、伝統織物を知ることで自然と人間の関係を学習させたりするなど指導に工夫を凝らしている。
大阪大学臨床哲学研究室は、いくつかの高校と提携し特別授業を実施してきた。喫茶店などで社会人らが自由に討論する「哲学カフェ」も開催しており盛況だ。
晩秋の夜、インターネットやゲームを離れ、哲学書をひもとくのも有意義な過ごし方だろう。
(2009年11月23日01時05分 読売新聞)
「哲学は実用性に乏しい学問と見なされ、多くの大学の教養課程の履修科目から姿を消しつつある」 これは哲学のみならず、人文系全体に言えるこどではなかろうか。「哲学」の語源はギリシャ語の「フィロソフィア」(知恵を愛する)に由来する。
明治時代の初期、賢哲の明知を愛し希求するとの意味で「希哲学」と訳され、さらに「哲学」と呼ばれるようになって定着した。世界の根本原理を追究する学問だ。
14歳の少女を主人公とした哲学ファンタジー「ソフィーの世界」が日本でもベストセラーになり、哲学ブームと言われたのは、1990年代半ばのことだった。
ブームは過ぎ去り、哲学は実用性に乏しい学問と見なされ、多くの大学の教養課程の履修科目から姿を消しつつある。
しかし、思考力や論理性を徹底的に鍛える哲学教育の推進は海外で大きな潮流となっていることを見逃してはならないだろう。
幸せとは何かといった思春期の子供たちが抱く素朴な問いは、古今東西の哲学思想との出会いにつながる。新しい生命倫理の問題など現代の複雑な課題に向き合う上でも哲学的思索は欠かせない。
国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)は哲学教育の推進に取り組んでいる。高校生などを対象とした哲学教育は、欧米を中心に多くの国で導入されつつある。
フランスでは高校の最終学年で哲学の基本が徹底的に教えられ、大学入学資格試験には哲学の難題が出題される。人間形成の上で大きな影響を受けたと振り返るフランス人も少なくない。
フィンランドで今年5月に開催された国際哲学オリンピックは、世界22か国から高校生が参加し、宗教や芸術をテーマに哲学論文を書いて競い合った。日本代表も英語で哲学論文に挑み健闘した。
哲学を広い意味からとらえ直して教育などに生かす試みは、日本でも芽生えつつある。
東京都世田谷区では文部科学省の教育課程特例校の制度を利用して、すべての区立中学校で独自の教材を用いた哲学の授業に取り組んでいる。
宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」を素材に「生きること」をテーマに考えさせたり、伝統織物を知ることで自然と人間の関係を学習させたりするなど指導に工夫を凝らしている。
大阪大学臨床哲学研究室は、いくつかの高校と提携し特別授業を実施してきた。喫茶店などで社会人らが自由に討論する「哲学カフェ」も開催しており盛況だ。
晩秋の夜、インターネットやゲームを離れ、哲学書をひもとくのも有意義な過ごし方だろう。
(2009年11月23日01時05分 読売新聞)
そう言えば私が高校生だった時、夏休み前の1学期の終業式で校長先生が「この夏休みを利用して、1冊でもいい、哲学書に触れてみてください。」と仰ったのを真に受けて本を読んだことがある。学校の図書館に行って借りた本は野田 又夫 著『デカルト』(岩波新書)だった。「我思う、故に我あり」に至るプロセスを読んだ時の、衝撃とまでは行かないまでも、とにかく違う世界、考え方に触れているという実感は、今もって色あせることはない。
考える力を養うのに、遅いも早いもないと思う。私も読書の幅を広げたいと思う。
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